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快楽への扉

2000年3月 公開

言うまでもなく、ビデオゲームは、
コンピューターという新しい次元のハードとソフトが
本質的に隠し持っていた快楽への扉である。
それは、論理学という純粋な知恵の喜びに、
感覚的なインターフェイスを
取り付けることによって生まれた。
従来、専門的な知識と分析力なくしては
入り込めなかった世界を、
経験的理解と修練の積み重ねだけで
容易に親しめるように翻訳してしまったのは、
その行為自体に魅力を感じ、
のめり込んでいった初期のハッカー達の
伝道者的ともいえる功績によるものだ。
故に、ゲームというメディアの一方の本質は
「論理」の中にある。
これは、従来の娯楽メディアの中には、
ほとんど含まれなかった要素であり、
どちらかというと大衆からは敬遠されてきたものだ。
しかし、垣根の高い楽しみには、得難い喜びがあるもので、
知恵の木の実が禁断の果実とされたのも頷ける。
世界の秘密を身につけ、使いこなすという快楽は、
他のものには変えられない魅力があるのだ。
さて、ではもう一方の本質とはなにか。
ゲームの最大の特徴がインタラクティブ性に
あるかのような言辞をよく見かけるが、
別にそれは目新しい要素ではない。
電波や活字といった、記号化されたマスメディアの
登場する前は、娯楽は当然のように
インタラクティブなものだったからである。
芝居だって落語だって、演者は客席に気を配るものだ。
客の反応はまさにリアルタイムに演し物に反映され、
その事によって、舞台と客席との間に
一体感を生み出すからこそ、
人々は何度も足を運んで、それを味わいたくなるのである。
だからこそ、ゲームはその発生の過程で、
過去のインタラクティブな娯楽の模倣物としての
スタイルを確立してきたのだ。
つまり、ゲームの持つもう一方の本質は
(実は他のメディアと同様に)
「過去のメディアの模倣」である。
新しい物は常に過去の物を模倣する形で世に現れるという。
なぜなら、そうでなくては受け入れて貰えないからである。
どんなに素晴らしい数学的パズルがあったとしても、
適切なインターフェイスがなくては、
手が出せないのが普通だ。
だから、ゲームは映画や芝居や小説やテーブルトークや、
その他様々なものの枠組みを借りて、
その姿を成り立たせているのである。
要約しよう。
ゲームというメディアは「論理的仕組み」
(いわゆるパズル)を「過去のメディアの模倣」
によってあるいは単純化し、あるいは複雑に見せ、
様々な味つけを施しつつ、
分かりやすくアレンジしたものである。
少なくとも、今までに登場したゲームは全てそうだ。
そしてその、論理的仕組みに関する情報を
如何に開示していくか、というやりかたが、
ゲームのルールなのである。


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