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Library : 音(あるいは映像に息を吹き込むもの)

音(あるいは映像に息を吹き込むもの)

2000年3月 公開

無声映画における数々の傑作、偉業を認めたうえで、
でもやはり、映像には音が必要であると言いたい。
確かに一部のドキュメンタリー映像などには、
無音ながら凄まじい迫力で見るものを圧倒するものもある。
が、しかし、大多数の無声映画が、
字幕を差し挟むことによって映像のテンポを
確立していたのと同じような意味で、映像には本来、
音が無くてはならないと、僕は思うのである。
山野を映じれば虫の声、草の静寂、海を映じれば
打ち寄せる波のざわめき。
人込みの雑踏も、空を渡る秋風も、
およそ自然にあるものの中で音を立てないものは無い。
音が無いということは、人間にとって
実に不自然なことである。なぜなら人間は、
映像と音の二種類の情報を組み合わせることによって、
自分を取り巻く現実を形作っているからである。
また、映像というものが、光という、
直接には力を持たない媒体によって
もたらされる記号的な情報であるのに対し、
音は、我々の皮膚に直接に振動を与え、
激しい時には我々自身を揺さぶるほどの
ダイナミズムを持った、より感覚的な
情報であることを考えると、もし躍動感のある
映像作品を生み出そうと試みる時には、
絶対に音という要素をなおざりにしては
ならないことがわかるだろう。
音は映像に息を吹き込むものである。
少々乱暴な言い方かも知れないが、
どんなに映像が綺麗で、緻密に作られていたとしても、
それに見合うだけの音が付いていなければ、
作品としては落第である。
注意してほしいのは、音が見合う見合わないというのは、
基本的に音質の良悪とは無関係だということである。
例えば、ゲームボーイでは単純な波形しか鳴らないから、
サンプリング音源を持つ物よりも
レベルの低い仕事しか出来ないというわけではない。
重要なのは、いかに作品のコンセプトや
内容に合っているかということである。
もし、ゲームボーイの画面で、
フルオーケストラの音楽が壮大に鳴ったとしても、
それはアンバランスなだけで、ちっとも成功とは言えない。
逆に、3Dになり、ポリゴン数も増え、
現実と見紛うような画面が生まれているのに、
スーファミの延長みたいな意識で音を作っても、
足を引っ張る結果になるのがオチだということだ。
背景がリアルに描写されるのならば、
自然な環境音が無くてはならない。
人が描かれ、リアルに造形され、動くのならば、
喋らなくてはならない。人がリアルに喋るのならば、
音楽もリアルに演奏されなくてはならない。
全てはバランスである。バランスであるが故に、
全体で一個の表現としてまとまった時に、
言いがたい説得力を生むのである。
しかし現実は厳しく、問題はゲームだけには留まらない。
今現在リリースされる日本の長尺映像作品で、
十分に緻密に音が付けられているものは、
ほとんど皆無と言っていい。
また、日本の音楽作品で、十分に緻密に映像が
付けられているものも、皆無と言っていいだろう。
確かにそこには様々な問題がある。
予算、スケジュール、納期、慣習、業界全体の意識、
打ち破らなければならない壁は限りなく多い。しかし、
まず何ごとも目標を持って始めることが大事である。
真に映像と音が密接に関連した、
ハイレベルの作品を生み出すことが出来れば、
それは日本の映像業界にとって、
価値ある一歩になると僕は思う。


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