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postバレエ・リュス

2009年 10月 28日

バレエ『火の鳥』のコスチューム:Леон Николаевич Бакст

バレエ・リュスと聞いてああ、と思える人は少ないだろう。ロシア出身のプロデューサー、セルゲイ・ディアギレフが1909年にパリのシャトレ座で旗揚げしたバレエ団である。記憶を辿れば僕の子供時代の少女漫画に於いて、女の子の憧れといえばバレエとプリマバレリーナであったが、その芸術的基盤をほとんど一手に築いたのがセルゲイ・ディアギレフとバレエ・リュス、いわゆるロシア・バレエ団であった。最初の舞台は「アルミードの館」で、作曲はニコライ・チェレプニン。かの伊福部昭先生や早坂文雄先生が師事したアレクサンドル・チェレプニンの父である。その後、バレエ・リュスは幾多の輝かしい芸術的業績を残しながら、しかしその頂点として数えられるものは、巨大な三つの名前によって象徴される。ひとつは前述のセルゲイ・ディアギレフ、そしてもうひとつはディアギレフの盟友イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー、そしてもうひとつはディアギレフと恋仲であった、ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキー。特にニジンスキーは天才を絵に描いたようなバレエダンサーであった。志半ばで精神を病み、いわゆる統合失調症として精神病院を盥回しにされる彼の、もっともセンセーショナルな舞台は、しかしながら彼自身が踊ったものではなかった。それは1913年5月29日にパリはシャンゼリゼ劇場にて行われた、ストラヴィンスキー作曲、ピエール・モントゥー指揮、ニジンスキー振り付けによるバレエ「春の祭典」初演である。会場にはサン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルなど、錚々たる顔ぶれが客として足を運んでいたが、ファゴットの最高音域を使ったイ調独奏を皮切りにした演奏と踊りが始まるや、そのあまりにも斬新な芸術性に衝撃を受けた聴衆が賛成派と反対派に別れ大声で罵倒し合い、場内は怒号飛び交う大混乱に陥った。結局この舞台は都合8日間しか上演されず、ニジンスキーがディアギレフの意向を無視して女性と結婚し、バレエ団を解雇されたため、その振り付けも時の流れの中に忘れ去られていた。しかし後年、舞踏史学者のミリセント・ホドソンが、初演の際に「春の祭典」の振り付けに助力したマリー・ランバートを取材し、1979年から実に8年を費やした考証の末に件の振り付けを再現。1987年に無事復活上演された。それはもう現代人の目から見ても奇跡のごとく斬新な振り付けであり、ストラヴィンスキー渾身のオーケストレーションと相俟って、鬼気迫る凄みを感じさせる舞台だ。その成果を織り込み、1913年の初演時の劇場の模様を忠実に再現した単発TVドラマ「Riot At The Rite」が、2005年に英国BBCによって製作されており、これがまた微に入り細に渡り素晴らしい完成度。まさに時代の空気を写し撮った臨場感で、心躍る好篇となっている。

Riot At The Rite

http://video.google.com/videoplay?docid=-8137393125612191818#

さて、ストラヴィンスキーについてもう少し書きたい。僭越な表現かもしれないが、僕の音楽的趣味に於いて彼の最高傑作と感じるものは残念ながら「春の祭典」ではない。これもディアギレフの依頼によって作曲され1910年にパリはオペラ座で初演された「火の鳥」である。ほぼ四管編成という大きなオーケストレーションが施されたこの作品には、ストラヴィンスキー自身による多くの改変バージョンがあり、いずれも現代管弦楽の精華。誰も再び到達することの出来ないオーケストラ音楽の頂点だと思う。僕自身、オーケストラのアレンジに手を染めながら、管弦楽法の複雑さや構成の緻密さに重心を置けないのは、どのように努力してもこのストラヴィンスキーの残した輝きに及ぶことが出来ないという諦めによるものが大きい。先日、ストラヴィンスキー自身の指揮による「火の鳥(1945年版)」ニューフィルハーモニア管弦楽団1965年の映像を見たが、後年のいずれの指揮者と比べても比類なき色彩豊かな演奏。単なる綺麗さや美しさを目指すのではない、人間的な情緒や生命の躍動に満ちた、畢生の名演であった。ちなみに、この1945年版は終曲の最後、テーマが繰り返し合奏される部分が、4分音符ではなく8分音符+8分休符となるよう編曲しなおされているが、これはストラヴィンスキーが晩年、セリー主義などに傾倒し、曖昧なアーティキュレーションによる不明瞭な響きを嫌ったためであるらしい。世評に芳しくない改変であり、確かに壮大な曲想には少々似つかわしくない雰囲気であるが、老いてなお自分にとっての新しい音楽を求め、過去に安住しない勇気にこそ、賞賛が贈られるべきであろう。

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3 Responses to “バレエ・リュス”

  1. shun Says:

    ども、書き込みは初めてになります。
    こういった記事は久々ですねー、待ってました。^^

    >春の祭典
    サン=サーンスに至っては
    「楽器の使い方を知らない奴の音楽なんて聴きたくない」
    とか言って会場を出て行ったそうですからねw

    >火の鳥
    自分も春の祭典よりコッチ派なのでこれは嬉しいです。w
    本当に楽器の使い方が巧いですよね、フィナーレは特に。。
    他に類を見ないあの煌びやかさは、何度聴いても鳥肌が立ちます…。
    もちろん他の楽章も大変素晴らしいのですけどね。

    もしお時間あれば御回答願いたいのですが、
    菊田さんのベストだと思われる編曲は何年版でしょう?

  2. N Says:

    ストラヴィンスキーのオーケストレーションは緻密過ぎて
    むしろ参考にし難い感があります。
    ただし、所謂現代的なオーケストラを使った緻密な「色彩の表現」
    はほぼシンセサイザーで代替可能なことに対し、ストラヴィンスキーの
    それは一つ上の次元にあるとも感じています。
    演奏する時にはつい熱が入りますね。

    ちなみに私はプルチネッラが好きです。

  3. 菊田裕樹 Says:

    プルチネルラじゃないけど、バロックの曲を書いてみたくなる気持ちは分かるなあ。あの世界は、構造的な美しさという意味では群を抜いているし。コメディ・デラルテが日本人に馴染むとは思えないけど、笑いと音楽の親和性を探るのも面白い。

    火の鳥の版を選ぶのは難しいね。原点であり、ストラヴィンスキーの引き出しを全て開けた渾身のアレンジという意味では、全曲版がベストなんだろうけど、あれはバレエといっしょに演じられないと駄目な気がする。演奏だけ聴いてると冗長に感じる部分を、上手く剪定したのが後の版だとすれば、やっぱり1919年版が妥当かなあと思うよ。

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